花 風 林

好きな音楽・花・街歩きや自然、などなど・・・書き留めておきたいとこ、あれこれ。

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映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」を観て

2/1に地元の映画館で「ALWAYS 三丁目の夕日'64」のロードショーを観てきました。
先にFacebookで早速に観てきたことを取り上げると、結構反響がありました。
平日の空いた時間に行こうと思っていただけでしたが、毎月1日は一人1,000円の日だそうで、ラッキーでした。


この映画シリーズ初めての3Dですが、私は高所恐怖症でそのようなものは苦手なので普通に観ましたが、3D並の迫力が随所で感じられました。


「ALWAYS」の東京オリンピックの年、1964年​をよく知っている私から観て、細かい全ての物、風俗など全​て時代考証がよく出来ていました。
テレビドラマでは、​かなりいい加減なものが多いですが、これは細部まで間違​いはなかったように感じました。
当時の物全てについて語ってしまいたいくらいですが、それは置いておいて・・・。


この映画と自分が育った時代が同じであるので、映画と合わせながら私なりに語ってみたい
と思います。
長文です。

ALWAYS 三丁目の夕日'64 20120201 映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」

東京タワー完成の頃
「ALWAYS」シリーズは第1作の時から、時代背景が自分が育った時代と重なっていて注目作でした。
第1作の東京タワー完成の昭和33年頃、東京に住んでいたお陰で建築途中だった東京タワーを見ることが出来て、幼心にも大変記憶に残っていました。


この頃、生まれたばかりの私の弟が珍しい病気に罹ってしまい、色々な病院を転々として、最後に東京タワーがすぐ傍のT病院に入院し手術をしたことも思い出深いです。
また、完成したばかりの東京タワーは幼稚園の卒園遠足で行き、大きくて凄いな~!と思いました。


私は小学校5年生の頃(確か東京オリンピックの年だったと思う)、弟が入院したT病院に、手術で10日ばかり入院したことがありました。
この時も、洗面所からいつも近くに見える大きな東京タワーにワクワクしたものでした。
この映画のシンボル東京タワーは戦後の日本人の心のシンボルみたいなものだったと思います。


戦後」という言葉が聞かれなくなって久しいですが、私の世代にははっきり心に刻まれた言葉です。
映画の中で「ここら辺は全部焼け野原だったなぁ・・・」と鈴木オートのご主人が言うシーンは、じ~んと来ます。


私が育った環境
私は生まれて3ヶ月で東京世田谷区に来て小学校低学年までそこで育ちました。
世田谷区は都内でも田舎で有名な区で当時、下水道の普及率が最悪の区でした。
都内とは言えこの辺の昭和30年代前半は、周辺は畑と田んぼと肥溜めがありました。
現在は環状8号線が通っている場所です。
我が家やその周辺は水道が通っておらず、集合井戸を利用して、それこそ井戸端会議の世界でした。
洗濯機はなく、大きな木のたらいで洗濯板を使って赤ん坊の弟をおんぶして母は洗濯していました。
ガスなんてある訳ありません。
小学校に入るまで、我が家にはTVもなく、近所のTVのある家で見せて貰っていました。
今の便利な環境とは全く違い、そんな中で両親は頑張ってくれたのです。


その後、小学校3年(昭和37年1962年)で大田区に引越し、ここで東京オリンピックを迎えました。
のどかな世田谷区と違って全然都会で、当然田畑などありません。
商店街や町工場などの中に住宅が共存する環境でした。
道路は広く世田谷では見なかった信号や横断歩道、みどりのおばさんがいることにもビックリでした。
校庭はその頃都内の学校が殆どそうだったように、アスファルトの校庭でした。
羽田空港を発着する飛行機の騒音がとても酷く、当時はサッシでなく防音も施されていない教室なので、飛行機が通るたびに先生の声が聴こえず、授業は中断されました。


昭和30年代後半、東京オリンピックの頃
今作の「ALWAYS」はこの東京オリンピックの年、昭和39年(1964年)の一般庶民の暮らしにスポットを当てたものでした。
よーく覚えていますとも!前作までの映画以上にこの年は!!
だから、今作は映画館で絶対観たかったのでした。


東京オリンピックの年・・・。
私は小学校5年生で、先に書いたように東京大田区に住んでいて、下町でこの映画に出てきた子供達と同じような環境でした。
この映画の中心になっている「鈴木オート」は、家電など新しいもの好きのご主人のお陰で随分進んだ方の生活をしています。
一般の人はこの映画のようにカラーTVなどまだ買ってはいません。


この頃、商売をやっているような家庭以外はまだ電話も行き渡っておらず、何かあった際の連絡は映画に出てくるように電報が一般的でした。
また、ご近所さんの電話があるお宅に呼び出して貰う方法を取っていました。


オリンピックを機会に住居表示を分かりやすいものにしようと「○○町○○○番地」の表記から「○○1-1-1」のような新住居表示に徐々に変わり、街中にその表示パネルが貼られ、この映画と同じでした。


映画の中で男の子達がグライダーを飛ばしていましたが、これは男子の間でかなり流行りました。
このグライダーの車輪の針金が手に突き刺さって、血を流した同級生がいました。
映画に出てきたように雑誌漫画おそ松くんの「シェー!」が大流行して、授業中でもやっていました。
TV漫画はオリンピックの年に日本で初めてのTVアニメ「鉄腕アトム」が放映されるようになりました。
それまではアメリカの漫画映画しかTVではやっていなかったのです。

ALWAYS 三丁目の夕日'64 20120201 子供達が「シェー!」をするシーン


大変流行っていた三波春夫さんの「東京五輪音頭」は名曲ですが、その後も盆踊りの定番になりました。
映画のシーンにあるように、ベンチャーズなどに影響を受け、エレキギターのインスト・バンドを日本人もやるようになってきた頃でした。
翌年、クラスの男子が卒業謝恩会でエレキの演奏をやって、PTAから「あの子は不良だ」と、エレキをやっているだけで噂された時代でした。
オリンピック後の学校の運動会では、東京オリンピックの入場行進で使われた「オリンピック・マーチ」が使われるようになりました。


TVのニュース番組では「東京オリンピックまであと何日」と映画と同様に表示されていました。
開通する高速道路、競技場や体育館の建設経過がよく報道されていたのも映画と同じです。
報道のたびに子供心にもウキウキしたものです。


中でも東海道新幹線の報道は皆注目していましたし、子供達は新幹線とは呼ばず「夢の超特急」と呼んでいました。
新幹線開通の直前の夏休みに東京駅で停まっている新幹線に試乗させてくれる企画があって、母と行き素晴らしい車内に感動しました。

ALWAYS 三丁目の夕日'64新幹線 夢の超特急


その頃、よく乗っていた京浜東北線や山手線はまだ、木製の壁と窓枠と床で、ワックスを塗った床はテカテカしていて、雨の日はちょっとした水たまりのようになりました。
網棚は本当にネットでしたし、日差しを遮る重たい「よろい戸」がありました。
車内の明かりは暗く、内装も木ですから重厚で暗い感じでした。
冷房など扇風機だけで全くありません。
新幹線はそれらとは全く違っていたので本当にビックリでした。


東京オリンピック
オリンピックが近づいた頃、学校の児童全員で多摩川六郷土手の京浜第一国道に聖火を迎えに行きました。
東京オリンピックの開会式の日、昭和39年10月10日を忘れることはありません。
この映画と同じで、土曜日で学校から帰ってきて、皆でTVの前に集合しました。
従姉妹の大学生のお姉さんがこの頃我が家に下宿していて、一緒に揃って観ました。


ブルーインパルスが晴れ渡った空に五輪を描くところはTVの方で観ていて、あの時外の空を見上げれば見れたのだなぁ・・・と、それを当時思いつかなかったことが残念です。

ALWAYS 三丁目の夕日'64ブルーインパルス 東京オリンピック開会式にブルーインパルスが空に五輪を描く


この映画のように集団就職で家族同様に住み込みすること、親戚に下宿など、この頃は一般的でした。
個人の生活重視の現在と違って、人情味のある頃でした。


注目の水泳、体操、重量挙げ、東洋の魔女のバレーボール、アベベと円谷のマラソン。
これらは映画と同じで、日本中を沸かせ、子供の私も家族揃って観て感動しました。
マラソンは平日の午後だったので、職員室のTVで、今どんな状況か?気になりつつ・・・同時に見ることは出来ませんでしたが・・・。


オリンピックの時、6年生は何かの競技を全員無料で招待され、1学年違いで行かれなかった私達は悔しい思いをしました。
オリンピック後、描き方で色々と話題になった市川崑監督のオリンピックのドキュメンタリー映画は学校総出の行事として観に行って、ドキュメントでありながら抽象的な内容に子供ながら驚きました。


戦前と戦後の日本
あの頃の日本は皆が戦後を乗り越え、新しい日本を目指して頑張っていました。
この映画の主人公の鈴木オートのご主人が第一作で「軍隊では・・・」、今作で「戦後生まれは・・・」と言っていた言葉は私の当時の父の言葉そのものでした。
戦前は男子には徴兵がありましたし、嫌でも何でも若者は青春時代を戦争に捧げなくてはならない環境でした。
今の若者には考えられないくらい、緊迫感に満ちた環境だったのです。


私は両親からそれらを伝えられて育ちましたので、実体験はないけれど、当時の世の中や人々のことをしっかり心に刻んでいます。
鈴木オートのご主人は私の父と同世代で、生きていれば90歳ぐらいです。
亡くなった父の若い頃を重ねて見るようで、感慨深いものがあります。


映画「ALWAYS」の見所
この映画では懐かしいだけでなく、当時の人々が、貧しくても希望に満​ちた、前進する姿に溢れ描かれています。
戦争に負けた日本を建​て直し、大きくしようと一丸となって、エネルギーに溢れ​た人々の姿があります。
世の中の大人は当時、物凄く頑張っていました。
私は当時子供ながら、それをよく見て知っ​ています。
そんな中で育ったことを誇りに思います。
しかし、今はそれが失われてしまい、日本人が発展繁栄を求めて頑張った末にやってきた、今の堕落衰退の現状は情けないです。


時代を超えて、幸せとは何か?!という、今までの2作と同じラインでストーリーは展開しています。
1、2作とも観ていま​すが、今回も見逃せない内容です。
ほのぼのだけではない、当時の人々のエネルギーも感じて下さい。
そして、この思いを後世にも伝えて行きたいと思います。
多くの人に観て欲しい映画です。


ただ一つ、エンディング曲は映画の雰囲気に合っていなかったのが残念です。


下記に私と一つ違いで、私と同様な感想を持つ、女優のもたいまさこさんのコメントをオフィシャルから転載しました。



「ALWAYS 三丁目目の夕日'64」オフィシャル・サイト

http://www.always3.jp/

ぼくのわたしの64年
http://www.always3.jp/boku/


もたいまさこ
1952年10月17日生まれ、東京都出身。

 私は、東京の代々木で生まれ、代々木で育った。
  ふたつ年上の兄との二人兄妹、小さな商売で忙しい両親といるより、必然的に家では兄とのふたりだけの時間が多かったのだが、男の子の格好良さを気にし始めた中学生の兄のことを、ちょっとメンドクサイと思い始めた妹が、そんな兄と同じように、少しずつ胸がトキメキ始めたのが、東京オリンピックの開催だった。
  高速道路の工事の音とともに、今までとはナニカ違う大人達のワクワクするようなそわそわ感が、小学生の私にも伝わってくるようだった。 そして、その日はやってきた。街中が、東京中が、日本中が一色に染まってしまったかのようなその日が・・・。
  生まれて初めて遭遇するたくさんの外国人、何処からとも無く聴こえてくる浮き立ったような人達の声・・・。小学生の私としては、実態をいまひとつ掴めないままオリンピックの空気の中に巻き込まれたような気分だったのだが、ある日、学校の行事でオリンピック競技の観戦に連れて行って貰える事に成った。子供心に、バレーボールか、陸上競技かと、普通な期待感を持ってたのだが、連れて行かれたのは水球、大人に成った今思えば、かなり面白く興味のそそられる競技だと本心で思うのだが、ルールも知らない子供だった私には、何で水球というように思った記憶が有る。

やがて、そんな無知な子供の欲求不満を一気に解消してくれたのが、近くの甲州街道で観た、マラソン競技だった。
  小学生の私にも、アベベの走る姿は、シンプルに美しいと感じられた。
  東京オリンピックは、終戦から続く日本の大人達が思い描いた、繁栄へのシンボルのようなものだったのかもしれないなーと思ったりしますが、今も時々実家の近くを歩くと、様変わりした静かな町並みの向こうに広がる、ブルーインパルスが五輪マークを描いた空の辺から、その頃に生きていた人達の心のフワフワ感のようなモノが、時々ふわーっと降りてくるように私の耳に聴こえてくるような気がします。



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音楽や花、自然、街歩き、ママチャリでのサイクリングなどが大好きですが、突然の病気のため入院や自宅で病気療養。病気は一生お付き合いしなければならないものとなりましたが、現在は普通に生活しています。

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